遠い約束 8



 嫌な予感と言うのは、良くあたるものだ。
 降り出した雨にコンラッドは内心焦りを見せていた。
 雨で視界は悪くなり、敵方の位置確認も取りにくい。
 確かに自分の気配や足音が雨音に紛れる点はいいのだが、それは相手も同じで。
 当然仲間たちの気配も察知しにくくなる。
「ちっ・・・」
 無理に動き回ったせいか、せっかく彼に治してもらった傷口が開いてしまった。
 流れ出る腹部の血を左手で押さえ、辺りに視線を向ける。
 少し離れたところで剣戟の音とざわめきが聞こえた。
 どうせ陽動員だろう、そちらには行かなくても大丈夫だ。
 自分が捕らえなければならないのは、事を起こした首謀者。
 そいつさえ押さえれば後の奴らは音を立てて崩れていく。
「・・・・」
 目の前の聳え立つ建物を睨みつけ。
 扉に手をかけたところで胸の奥に僅かな引っ掛かりを覚える。
「?」
 小さく首を傾げた―――その時。
 背後で動く気配と、そして小さく飛び出してきた影。
「―――ッ!!」

 飛び散る真紅の花弁。

 倒れ込む身体を反射的に抱き止めて、腰にある剣を引き抜くと同時に迫る敵を薙ぎ倒す。
 そうして、瞬きの内の出来事が治まると再び雨の音だけが辺りを支配した。

「ぅ・・・」

 腕の中に倒れた人物が、微かに身じろぐ。
 そこで漸く放心していたコンラッドは、その人物を見下ろした。
 フードが外れ、現れたその色に目を見開き。
 青白い表情の中、薄っすらと持ち上げられた瞼の奥から現れた色に今度こそ思考が停止する。


 双黒の者―――。


「・・・ああ、よかっ、た・・・。怪我、ない?だいじょー、ぶ?」
「・・・双黒・・・」
「え・・・?あ、やべ・・・雨で、染髪剤、落ちちゃった・・・」
 固まったままのコンラッドを見上げ、次いで視界の端に映った己の髪に困ったように微笑を浮かべた。
 そして、不自然な動きでコンラッドから身を離すと彼の腹部から血が流れ出ているのに気づいて表情を曇らせる。
「ったく、傷口・・・開いて、る。」
「え?・・・っ」
 そろりと伸ばされた手が傷口に触れると、そこから暖かいものが流れ込んでくる。
 以前見たとき同様、そこは肉の盛り上がりだけを残して綺麗に塞がれた。
「・・・よかった・・・」
「ユーマ・・・っ?!」
  突如抱きつかれてコンラッドは再び硬直した。
「死ぬんじゃ、ないかって・・・ジュリア、さんの後、追って死ぬ気なんじゃ・・・って、思って怖かった・・・っ」
「ユーマ・・・」
 どうしてジュリアのことを?とか、何で双黒を持っているんだとか、今はどうでも良かった。
 ただ、心の底から心配されていたことが嬉しくて、腕の中の存在が愛しくて仕方がなかった。
 震える背中に腕を回し、力を込める。
 安心したのか、少年の身体からふっと力が抜けた。
 更に抱きしめる腕に力を込めて、ぬるりとした感触に動きを止める。
「・・・血がっ」
 触れていた部分に目を凝らし、確かに流血しているのを認める。
 抱き起こしてその頬に触れると、ひやりと冷たかった。
 青白い表情、不自然な動き、途切れがちな言葉―――。
 彼が纏う黒に動揺して、その目に見えていた事実に気づけなかった。
「ユーマっ自分の傷を治すんだ!」
「・・・無理・・・おれ、自分にやったこと、ないからさ・・・やり方、知らないんだ・・・」
 薄っすらと持ち上げられた瞼の向こう。
 あれほど光り輝いていた瞳が、今は鈍い色しか見えない。
「くそ・・・っ」
 傷に触れないようそっと抱き上げて、コンラッドは雨の中をひた走る。

 もう大切な存在を失いたくない。
 この存在を、失いたくない。

 会ってまだ日が経ってないのに、この少年の存在がそれほどまでに自分の中で大きなものとなっていた。
 祈るような気持ちを抱えたまま、コンラッドは抱く手に力を込めた。


 □■□■□


 ゆっくりゆっくり、眠っていた意識が浮上する。
 瞼の向こうから差し込む光に呻きつつ、ぎゅっと一度強く瞑り押し開いた。
「・・・部屋・・・?」
 誰の?
 自問してのろのろと首を動かし辺りを見渡した。
 装飾の少ない、質素な部屋。
 一つ一つをゆっくり認識して、そこが誰の部屋か漸く思い出した。
「・・・コンラッド・・・」
 自ずと呟いた名に、きゅぅぅっと胸が締めつけられる。
 いつも傍にいて、慈愛に満ちた眼差しで自分を見つめていた。
 自分が彼の名を呼べば、とても嬉しそうに微笑んで。
 髪を梳いてキスをくれる。
「コンラッド・・・」
 名を呼べば、来てくれる。
「コンラッド」
 そうしていつものように「陛下」と言って、それに自分が拗ねた様に訂正を入れるのだ。
「コンラッド・・・っ」
「ユーマ?」
「っ・・・」
 開かれた扉の向こうに現れた人物は、確かにコンラッドで。
 だけど、彼は"彼"なのに今自分が求めている"彼"じゃない―――。
 ここにいるのは過去の"彼"で、名付け親じゃないのだ。
「・・・ふ・・・ぇっ」
「ユーマ?!」
 泣き出したユーリに、コンラッドは慌てて近寄ってきた。
 そうして抱き起こすと、背を、髪を撫でる。
 零れる涙を拭って、ポンポンと安心させるように背を叩いた。
 自分の知る、同じ仕草。
「コンラッド・・・コンラッドっ」
「ここにいるよ、ユーマ。だから泣かないで・・・」

 『大丈夫、ここにいますよ。だから泣かないで、ユーリ。・・・ね?』

 だけど、違う。
 この腕もこの声も同じだけど、違うのだ。
「帰りたい・・・っ」
「ユーマ・・・」
「帰りたいよ、コンラッド・・・っ!!」

 どうにも出来ない思いを吐き出すかのように。
 ユーリはただ、「帰りたい」とその言葉だけを繰り返した。



 泣き疲れて眠りについたユーリを、コンラッドは静かに見つめた。
 まだ涙の後が残る頬に手を這わせ、触れるだけの口付けを落とす。
「ユーマ・・・君は一体何処から来たんだ・・・?」
 今までに双黒の者が生まれたと言う報せは聞いていない。
 そして彼はそれを隠すかのように変装していた。
 何よりジュリアのことを、彼女の死を知っていた。
 自分が彼女の後を追うかもしれないと。

 どうしてそんな事を思ったのだろう・・・?

 確かに、自分にとって彼女は掛け替えのない存在。
 姉のようで妹のようで、恋人のようでそうじゃない。
 恋愛感情とは違くて、でもとても大切で愛していた。

 その存在を。
 その考えを。

 そして共に共感し、信頼し合っていた。
 だからこそ、彼女の死は信じられなくて・・・。
 今でもまだ受け入れられないのも真実(ほんとう)。
 それでも。
「それでも・・・彼女を追って死ぬと言う考えは浮かばなかったよ。あそこで君に会っていなかったらそういう考えも浮かんだかもしれない。・・・だけど。」
 ユーマ、と。
 名を呼んでここにいることを確かめるように、彼の手を強く握り締める。

 彼は何者なのか。
 何処から来て、何処へ帰っていくのか。
 そんなことはもう知らなくていい。
 ただ、出来ることなら―――。
「・・・それはきっと、無理なんだろうな・・・」
 自分の名を呼びながら、彼は違う誰かを求めていた。
 狂うほどに、その人物だけを。

「・・・渡したくない。君を、帰したくない・・・」

 この先もずっと一緒に。
 そう願うことは、罪だろうか―――。



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