- Passieren 6 -

 あれは、いつのことだっただろうか。

 付き合い始めて一月ほど経った頃、ユーリは今回コンラッドへ吐き出したような、似通った言葉を発したことがあった。
 「おれが男だから抱けないのだろう」、と。
 その時は付き合い始めてから一月の間、手を繋ぎキスをすることがやっとで、体の関係を持つことなど殆どなかった。
 初めは大事にされているのだと思っていたのだが、時間が経つにつれひしひしと不安感が募って行ったユーリは限界に達したときコンラッドに聞いたのだ。前記に記した言葉を。
 そしてそのときも、彼は正面からユーリの不安を受け止めてくれた。

 今もまた、コンラッドはユーリの不安を非難することなく、優しく受け止めてくれた――。






「・・・ん・・・っ」
 優しく包まれる感覚に覚醒が促される。
 重い瞼をゆっくりと持ち上げ、霞む目を瞬きすることでクリアにし。
 目の前にある顔に暫し硬直した。
「・・・コンラッド・・・?」
「おはよう、ユーリ。よく眠れたみたいだね」
 次第に目を丸くする少年にくすくすと笑みを零し、コンラッドは横たえていた体を起こす。
「ちょうどおやつの時間だし、紅茶でも飲みますか?」
 立ち上がったコンラッドは振り返り、未だ呆けたままのユーリの髪に指を差し入れて梳いた。
 小さく頷くのに対し満面の笑みを浮かべると、まろい頬にちゅっと唇を押し当ててその場を離れる。
 遠ざかる背を呆然と見つめたまま、ユーリは今の状況を上手く働かない頭で考えていた。
 どうしてコンラッドがここにいるのだろうと、そこから思考をスタートし、それから自分がここにいる理由を思い出して少しばかり顔を伏せる。
 ちゃんと謝ろうと部屋で待っていたはずなのに、彼の香りに包まれていたら眠気を誘われてしまったらしい。
 恥ずかしいと己の額を押さえていると、紅茶の良い香りを漂わせてコンラッドが戻ってきた。
 カップにはまだ注がれておらず、彼特有の作法で手順良く段取りされていく。
 適度に暖められたカップへ、程よく蒸され香りを漂わせる琥珀色の液体を注ぎ入れると、更に一つのカップには多めのミルクが足される。
 それはユーリ専用のものだ。
「はい。熱いから気をつけて」
「・・・ありがと」
 両手で包み込むように受け取ると、冷ますように息を吹きかけ一口含む。
 暖かな液体は食道を通り、体の隅々まで行き渡る。
 何を言うこともなく、無言のままユーリの隣に腰を下ろしたコンラッドはユーリの髪に手を差し入れて飽くことなく梳き、絹のような感触を楽しむ。
 彼はこうして一緒に居ると、必ずユーリの髪を弄ってくる。
 そうして、その次に髪の一房を手に取り口付けて、掌を握ってくるのだ。
 そうすることで落ち着くのだと前に言ってくれたことがあった。
 一種の癖、のようなものなのだろう。
 今もまた、コンラッドはその一連を一つ一つ確かめるようにしてユーリに触れてくる。
「すみません、迎えに上がれなくて。あなたが戻ってくると知っていれば城を離れるなどしなかったのに・・・」
「いや、それは仕方ないよ。大事な用事だってグウェンに聞いたしさ。」
「あなた以上に大切なものなどない。」
「コンラッド・・・」
 カタンと小さな音を響かせ、コンラッドはカップをテーブルの上に置いた。
 手を握る方とは逆の空いている手が、そっとユーリの頬へ伸びる。

 その指先から伝わるのは微かな震え。
 その目に映るのは情けないほど表情を歪めた自分の顔。

 どうしてだろうと思う暇などない。
 言葉にしようにも自分の心はぐちゃぐちゃで、それでも溢れ出す気持ちは涙となって滑り落ちる。
 ユーリの手にあるカップを取り上げ乱暴にテーブルへ置くと、コンラッドは性急にユーリの唇を塞いだ。
「んっ、ふ・・・んん・・・っ」
 強引に割って入ってきたそれは、ユーリの舌を絡め、強く吸い、やんわりと歯で挟んでは上顎を擽って。
 どちらの物ともつかない透明な液体はユーリの顎を伝い、白く細い咽喉を滑る。
 それを辿るように唇はユーリの唇を解放し、首に舌が這わされた。
「ぁ・・・、ん、ん・・・っ」
 どんなにか、この温もりを求めていただろう。
 地球へ戻ったのは自分の意志だったのだが、思ったよりも堪えているみたいだ。
 首筋に顔を埋めたまま微動だにしなくなったコンラッドの首に腕を回し、ぎゅっと力を込める。
「・・・ごめん」
「ユーリ・・・?」
 囁くほど小さい声を、コンラッドはちゃんと聞きとめた。
 僅かに顔を持ち上げ、だがしがみ付かれていることで完璧には上げられず、再び大人しくユーリの首筋に顔を埋める。
 暫しの沈黙の後、ユーリは再び口火を切った。
「・・・おれ、あんたの気持ちも考えずに自分のことばっか考えて、地球に帰ったんだ。確かに強制的な部分はあったけど、自分で望んでいた部分もある。まだ自分の中で納得できてなくて・・・」
 きっと、それ故に自分は知らず故国への通路を開いてしまったのだろう。
 今だから冷静に考えられることなのだが。
「コンラッドのことは信じてるんだ。前にも言ったと思うけど・・・、おれは、」
「解ってる」
 その声の悲痛さに居た堪れなくなって、そんな声を出して欲しくなくて、コンラッドはユーリの言葉を遮った。
 コンラッド自身、ユーリが自分の気持ちを疑っているとは思っていない。
 ただ、あの時の彼の行動には驚かされたが。
「気持ちの整理をつけるためにも、あなたが地球へ帰ったことはよかったのだと俺も思った。でもさすがに、今回ばかりはもうダメかと思ったけどね。」
「え・・・?」
「地球に帰ってから中々戻ってこなかったから、もしかして愛想を着かされて来たくなくなったのかと・・・ね」
「ちがっ、違う!来たくても来れなかったんだっ」
 慌てて体を離し、真っ直ぐにコンラッドを見つめて首を振る。
「何度もこっちに戻ろうと噴水とか洗面所とか風呂場とか、服のままで飛び込んだりしてみたけど全然ダメで!馴染みの場所とかそうじゃない場所でも試したけどそれらしい反応なんか全くなくて・・・っ。村田に話して自分の気持ちに漸く区切りついたらその帰り道雨に降られて、漸くこっちに戻ってこられたんだよ。」
 話しているうちにだんだん情けなくなって、それと共に声の力も表情も覇気が薄れていく。
 こうして言葉にしてやっと、やはりこちらに戻れなかったのは自分の精神的なものが原因だったのだと突きつけられた。
「ごめんな、不安にさせて。おれが消えたときも、きっと心配かけただろ?自分のせいとかあんた考えそうだし・・・。」
「・・・まぁ」
 僅かな間を開けてコンラッドが苦笑いを浮かべつつ答える。
 それに「やっぱりな」と思いながらも、ユーリはコンラッドの頭を再度抱きすくめつつ言葉を続けた。
「村田に話した後にさ、言われたんだよ。『君は気持ちを伝えていない自覚があるから、不安なんだろう』って。確かにその通りなんだよな。おれ、いっつもコンラッドに言わせてばっかで自分は恥ずかしいって言って逃げてたんだ。」
「ユーリ・・・」
 耳ではなく、直接脳裏に響いてくる声に酔いつつ、コンラッドは小さく首を振った。
 そうしてユーリの胸に額を押し付け、少年の体に回した腕に力を込める。
「俺の方こそ、初めは何も言わず消えてしまったあなたに絶望を感じましたよ。どうして勝手に戻ってしまったのだと憤りさえ感じた。けど・・・俺も、グウェンに話して思ったんです。どんな思いであなたは地球へ帰ったのだろうと。」
 何でも一人で抱えることを、自分がいない間に覚えてしまった彼だからこそ。
 そして何よりも責任感の強いユーリだから、少しでもその負担を軽くしたいと早期の帰還を望んでいたのは事実。
 コンラッドは額をユーリの胸から離し、顔を上げてその頬に掌を宛がう。
「不安にさせて、本当にごめんね。嫉妬してくれたことに凄く嬉しかったりしたから、申し訳なさは倍なんだけど。」
「・・・バカ」
 ふうわりと。
 全てを包み込むかのような笑みを浮かべ、ユーリはコンラッドの頭を引き寄せて額を触れ合わせる。
「おれのほうこそごめん。いっぱい傷つけて・・・でも、あんたの仕草とかに凄く救われたんだ。こう言う仕草はきっとおれしか知らないんだろうなって。・・・大好きだよ、コンラッド」
「ユーリ・・・」
 そう、気持ちを伝えることはこんなにも簡単なのだ。
 相手を好きだという気持ちを、自分の中の好きと言う気持ちを、ただ言葉にして伝えるだけなのだから。
 毎日言うことが必要なわけじゃなく、ただこうして、言葉が足りないなと思ったときや逆に互いに気持ちが通じているときに。
 大好きを、言葉と、体と、仕草で。
「大好き・・・誰よりも何よりも・・・」
「うん、俺も愛してる」


 自分はこの国の魔王で、シンボルで。
 国民を愛し、愛される存在だからこそ一人のものにはなれない。
 けれど、今このときだけは、たった一人の"特別な人"になりたいと思う。
 一人を愛する人として。








 夕焼けの空を、七色に輝く鳥が西へと飛んで行った。
 その姿を何とはなしに見送っていたユーリは、背後から聞こえた足音に視線を音源へと転じる。
「わざわざ足をお運びいただき、ありがとうございます陛下。」
「シュリフトさん」
 振り返った先には、すでに今日一日見慣れた二人の寄り添う姿。
 シュリフトを支えるように右隣に立つコンラッドは、彼女の背に宛がっていた手をそっと離し傍を離れる。
「ちゃんと挨拶するのが遅くなってゴメンね。それに、おれ何にも知らなくて・・・」
「仕方ありません。陛下は眞魔国と異界を行き来するため、こちらに不在のときがあるとツェリ様にお聞きしておりましたから。それに、陛下自らが一国民の葬儀に参列するなどあってはならないことです。致し方がありません。」
 ゆるりと首を振る彼女の隣で、コンラッドはまあるく目を見開いた。
「母上が?まったく、どうしてそういった重要機密をあの人は・・・」
「コンラッド。・・・ツェリ様もツェリ様なりに考えて、シュリフトさんが誰にも口外しないと確信していたから話したんだよ。そうだろ?」
 それに、別段隠すことでもないだろうと思うのだが。
 だが、その発言は難なくコンラッドによって却下された。
「何を言っているんですか。王が国を頻繁に空けているなどと知れれば民は不安になります。それにその事実が国外へと漏れれば、あなたのいない期を見て人間の国が領土を獲ようと攻めて来る可能性もある。安易に告げる事柄ではありません。」
 そうなれば、ユーリが望む永世和平は遠退いてしまう。
 それはコンラッドの由とすることではない。
「ですからあなたも安易に口外無きよう。いいですね、陛下?」
「・・・わかった、分かりました。だから陛下って言うなよ名付け親」
「守っていただけるならいくらでも?」
「それからその嫌味ったらしい笑顔もどうにかして・・・」
 一物も二物も持っていそうな爽快な笑みを浮かべるコンラッドにユーリは頭を抱えた。

 穏やかな時間が流れる。

 そう感じれるのは、きっとここに――隣に彼がいるから。
 軽やかな笑い声を立てつつコンラッドに話しかけるシュリフトを見ても、もう何も湧き上がるものはない。
 大丈夫。
 そう、彼女と接していてもコンラッドは自分を見ていてくれるから。
 彼の心は確かに此処に。
 信じる心は、いつまでも二人の永遠を築いてくれる。


 End

 



 一先ず完結です。
 なのですが、ちょこっと閨での会話も入れたいので、番外と言うか裏話と言うか、そういう類のものを一本裏街道へ載せようとは思っていますので、もう少々お待ちください。
 これだけ読むと「あれー?あの部分は?どうして謎なの!?」と言うところが出てくると思うのです。
 けれど、ここで完結にしないと裏街道に置いたものが完結編になってしまうので・・・それはいただけないだろうと(==;)
 ですので急遽仕込の完結編。楽しんでいただけたら幸いです・・・っ
 ではでは、長々とお付き合いくださりありがとうございました!!