| - Passieren 5 - |
勢いよく沸き起こった水飛沫に、グウェンダルはふと肩の力を抜いた。 ぷはっ、と言う声と共に黒い塊が姿を現す。 「漸く戻ったか」 「いつもいつも突発過ぎるんですけど・・・。ってか、漸くって?」 体に纏わり付く水気を払いつつ噴水から立ち上がったユーリは、グウェンダルの言葉に首を傾げる。 地球では凡そ一月半ほどの月日が過ぎていた。 時間の経過が早い眞魔国では、一体どれだけの月日が流れたのだろうか。 「すでに4ヶ月半ほど経つ。お前がこちらに来るようになってからは最長の記録だ」 「4ヶ月・・・」 そんなに・・・と言う呟きは吐息のように零れ落ち、誰の耳にも留まらず消えた。 今まで2ヶ月が最長記録だったのだが・・・よほど長い時間自分は不在していたのだと知る。 「取り敢えず着替えろ。冷え込む季節になったからな、そのままでいては風邪を引く」 「あ、うん・・・」 手渡されたタオルを頭に被せる。 それから「あれ?」と首を傾げた。 「他の面々は?」 「ヴォルフは領地へ、ギュンターは・・・奴のところにいる。コンラートは私用で城下へ出ているが」 くるりと踵を返したグウェンダルに、ユーリは小さな声で問いを重ねた。 「城下、って・・・?」 「―――シュテレ・シュリフトのところだ」 * * * 「足元に気をつけて」 「ありがとう、コンラート」 差し出した手に細くしなやかな手が重なる。 いつも握る手も細く小さいが、やはり女性と男性では造りが違うし手触りも違う。 一瞬、その違いに瞬きし、だがすぐに疲れた様子を見せる彼女の横顔に表情を翳らせた。 「すまない・・・、母上のわがままに付き合わせるために、こんな場所まで連れ出してしまって」 「いいえ、寧ろとても嬉しいわ。葬儀ではろくにお話も出来なかったし、母の病気についても何も知らせていなかったからとても申し訳なく思っていたの。こうしてお呼びしていただいたことでさえとても恐縮なのだけれど・・・」 ふと困惑気に視線を落としたシュリフトに、コンラッドは緩く頭(かぶり)を振った。 「母上からの招きだから気に病む事はないよ。だが葬儀から一週間経ったとはいえ、まだ家庭内も落ち着いてはいないだろう?こうして出てきて大丈夫だったのか?」 「後で夫が迎えに来るから平気よ。それより、あなたこそ陛下のお傍にいなくていいの?」 逆に問い返され、コンラッドは苦笑する。 4月と半月、いまだ彼が帰還する気配も連絡も、一向になかった。 「お生まれになった故郷へ帰られているからね。・・・俺は、必要ないんだ」 必要ないと、自分で言っておきながらその言葉のあまりの衝撃に自嘲的な笑みを零す。 その時、ふと何処からか自分を見つめる視線に気づいた。 「・・・?」 気配からは何の感情も窺えない。 ただ静かに、何処までも静かに、その視線は自分を見つめる。 感じるそれを辿って見上げた先には、今は不在のこの国の主が住まう部屋の窓。 そこには、無情にも空を映すガラスだけが存在していた。 「帰っていたのか、コンラート」 「グウェン?」 ツェリの部屋を後にし、自失へと戻る途中聞き馴染んだ軍靴に振り返ると、案の定そこには渋い顔をした長兄がいた。 「戻ってきていたなら報告くらいしろ。てっきりまだ戻っていないのかと思ったぞ?」 「告げた時間には戻ってきていたんだが、母上たちに捕まってね。今さっき漸く解放してくださったんだ」 苦笑気味に肩を竦めて見せ、グウェンダルこそこんな場所でどうしたのかと訊ねる。 今いる場所は奥宮のさらに奥。 執務室がある方向から歩いてきた兄に、訝しげな視線を投げかけた。 そうして、その手にある書類の束に目を瞠る。 その書類は、全て王直々のサインが必要だと手の付けられていなかったもので。 「それは・・・」 「あぁ、かれこれ3時間くらいか。休憩もろくに取らず決済に明け暮れていたからな、先ほど強制的に休ませたところだ」 「ご帰還されていたのか?!」 「昼前くらいに」 淡々と返される答えにコンラッドは「昼前・・・」と鸚鵡返しに呟く。 「じゃぁ、あの視線は・・・」 どうして気づかなかったのだろう。 彼の気配を感づけなかった自分自身に腹が立つ。 「自室にいるはずだ。・・・行って来い」 それだけ言うとグウェンダルは隣を横切って行った。 コンラッドもまた、いわれるまま魔王陛下の居室へと足を向ける。 大きな扉の前に立ち、中の気配を窺うがいまいち読み取れない。 一つ呼吸をして軽く二度ノックする。 だが、返って来るのは沈黙のみ。 「・・・陛下?」 眠っているのだろうか? そう思って扉を押し開け中を覗き込むが、そこに求める姿はなく。 蛻の殻(もぬけのから)の室内を見渡し、暫し逡巡して。 ふと脳裏を過ぎったものにくるりと踵を返すと、真っ直ぐに自室へと向かった。 思い過ごしかもしれない、ただの願望だといわれればそれまでのこと。 しかし、コンラッドの中では確信していた。 あの日、姿を消す前に熱を分かち合ったときの彼を思い出し・・・。 「ユー・・・、――っ」 自室の寝室に続く扉を勢いよく開け放ち、視線の先にあるベッドの上の膨らみに思わず開きかけた口を掌で塞いだ。 綺麗にベッドメイキングされていたはずのシーツを乱し、その上で気持ち良さそうに眠っているのは確かに自分の求めていた人物。 「ユーリ・・・」 すやすやと穏やかな寝息を立てる彼の傍までそっと近付くと、ベッドの端に腰を下ろす。 よほど疲れていたのだろう、深い眠りに陥っている。 常ならばこうならない程度で自分が休憩を持ちかけるのだが、今日はそれが出来なかった。 僅かに疲労の窺える目元を擦り、ゆっくりと上体を倒してユーリに覆い被さるとちゅっと瞼に口付けを落とした。 「・・・ん・・・っ、コン・・・・・・ッド・・・」 むずがるように呻ったユーリは、ころりと寝返りを打ちほわりと頬を綻ばせた。 どんな夢を見ているのか。 幸せな夢を見ているといい。 そう心の中で思い、コンラッドもまた目元を弛める。 こうして見つめるだけで、こんなにも満たされる心。 俺はまだ、あなたの傍に居られる資格があるのだろうか――。 さらりと髪を撫で、空気を抱くように包み込む。 「おかえり、ユーリ」 漸く戻ってきてくれた温もりに、泣きたいような気持ちに心が震えた。 |