- Passieren 4 -

 初めて知った、こんな感情。
 ドロドロとして、醜い心が大好きな人を傷つける。
 傷つけたくないのに・・・。






 ユーリが地球へと帰還した報告を眞王廟から受け、もう幾日が過ぎ去ったのだろうか。
 気づけば月日は一つの季節をやり過ごし、燦々と降り注いでいた太陽はその力を弱め、日は確実に短くなりつつあった。
「コンラート、いるか?」
「グウェンダル・・・?」
 軽いノックと共に掛けられた声は、血の繋がった実の兄のもの。
 どうぞと返事をすると、コンラッド専用執務室の扉が開かれた。
「どうしたんだ?あなたがこの部屋に訪れるなんて珍しい。」
「・・・実の弟の部屋へ来て何が悪い?」
 元々刻まれていた眉間の皺が、更に深められた。
 そんな姿に苦笑を零し、すまないと答える。
「確かに、何も悪いことはないね。」
 執務机から立ち上がったコンラッドはティーセットのある棚へと近付き、その中からポットとカップ二つを取り出す。
「お茶を入れるから、そこに座って待っていて。」
 応接セットの椅子を示し、それから隣接する扉の一つへと姿を消す。
 数分して戻ってきた彼の手には、適度に温められたカップと紅茶の入ったポットがあった。
「それで?何か話があってきたんだろう。」
「母上からの伝言だ。お前、ここ最近執務やら外務で母上に会ってないらしいな?」
「あぁ、そういえば・・・。今戻ってきているんだったか。」
 今思い出したというように眼を見開き、それから困ったように眼を細める。
「最近忙しくて忘れていた。母上は何て?」
「シュテレの母親が、5日前に亡くなったそうだ。葬儀が昨日行われたらしいのだが、お前が掴まらなかったから母上は一人で行ってきたらしい。」
「え・・・?」
「日があったら行って来い。今はちょうど魔王もいないからな。」
「・・・・・・」
 不在を行った瞬間、コンラッドの表情から感情が消えた。
 それは彼が何かを押さえ込んだからだと、ユーリと関わりあってから知るようになったのだが。
 あからさまに溜息を吐くと、グウェンダルは真っ直ぐにコンラッドを見据える。
「何があった?」
「・・・・・・・」
 言いはしないだろうと、高を括っていたのだが暫く沈黙を保っていたコンラッドはゆるりと瞬きをして。
「・・・ユーリが、ここまで長く不在なのは、恐らく俺の責任だ。」
「・・・?」
 確かに今回の不在は長い。
 すでに4ヶ月半は経過するだろうか。
 しかし、今までの最長記録を更新しているだけであってそれが彼自身の意志とは関係ないのではないかと思うのだが。
「何故そう言い切れる?奴が長く不在にするのは別に今始まったことではないだろう。」
「あの日・・・ユーリが地球へ戻ったあの日に、俺とシュリフトとの関係を語ったんだ。話をする前に偶然城下で彼女に会って、3人で少し話をして。その時のユーリの反応があまりにも自然だったから何とも思っていないのかと、そう思っていた俺は城に戻ってきてからの彼の変化に気づいた。・・・何も、思うわけがないのに」
 自嘲気味に笑うその表情に、再びグウェンダルは重い溜息を吐き出す。
「・・・お前らの問題に口を挟むつもりは毛頭ないのだが。奴の行動が不自然だったのは、少なからずユーリの気持ちがきっちりとお前にあるからだろう?それの何を不安がる必要がある。」
「不安じゃないんだ。俺は、ユーリを傷つけた自分が許せない・・・っ」
 守ると誓った、それなのに自分自身が彼を傷つけた。
 これ以上の心の負荷を、ユーリには掛けたくないのに。
「それほど、奴の心は弱くはないだろう。こと、お前の事に関してはな。」
「何を根拠にっ、」
「お前がいなかった頃の奴を知っているからだ。あの頃のユーリが持っていたお前への執着心は、並大抵じゃなかったが?」

 それをお前は信じられないのか、コンラート?

 どこか盲目的になっている弟を、暫し真っ直ぐに見つめる。
 視線を逸らしたまま何かを耐えている風のコンラッドにこれ以上は無駄だろうと踏み、グウェンダルは席を立った。
「これ以上は口を挟まん。後は当人達の問題だ。」
「・・・グウェン」
「母上からの伝言は伝えたぞ。」
 そう言って、グウェンダルは部屋を退室して行った。
 出て行った後姿を見つめたまま、コンラッドは思う。

 知らぬ間にいなくなっていたユーリ。
 その時感じた虚無感。
 そして、恐怖。
 だけど・・・。

 それ以上に彼は何を思い、その思いを抱えたままどんな気持ちで・・・地球へと戻ったのだろう――。





 * * *






 辛気臭い、と感じるのは果たして僕だけだろうか?

 隣にいる友人を見つめ、こっそりと溜息を吐き出しつつ村田は内心で頭を抱えていた。
 この数ヶ月、あんなに笑顔の絶えなかった彼がその表情を翳らせている。
 周りには平気なフリをしているのだがどうやら彼の家族も心配しているらしく、母親の美子などに至っては「何か悪いものでも食べちゃったのかしら?」と聞かれたほどだ。
 そう言いつつも彼女は彼女なりに本当の彼の気持ちを分かっているのだろう。
 そういう点で親と言うものは敏感なのだから。
「そろそろ、聞かせてくれてもいいんじゃない?」
「何だよ、突然。」
「君が何をブスくれてるのかだよ。」
 別にブスくれてなんか・・・、と言葉尻を濁したユーリは手の中にあるココアの缶を弄ぶ。
 目の前には自販機。そしてその横にはゴミ箱が。
 ユーリはそれへ向けて、缶を持つ腕を大きく振りかぶった。
「・・・、ちっ」
「ほーら、気持ちが如実に現れてる。」
「うっせーな。」
 ユーリはガシガシと頭を掻き毟り、深く息を吐き出すと「ごめん」と呟いた。
「ごめん、八つ当たりだ。」
「気にしなくていいよ。今の君はどうにも精神的に不安定だからね。」
 苦笑を零し、村田は背凭れに深く身を預けた。
「で?君が悩むと言うことはウェラー卿のことだろう?」
「な、何でっ」
「王様業で悩むことなんて少ないだろうからね。悩めば知恵を与え、選択肢を導き出してくれる人物が君の傍には多くいる。とても信頼できる臣下たちだ。となれば悩むことは必然と絞られてくる。愛娘のグレタ嬢のことか、婚約者のフォンビーレフェルト卿のことか、護衛役のウェラー卿のことか。」
「・・・んだよ、どうして分かるかなぁ」
 がっくりと頭を垂らしたユーリは一つ息を吐き、実はと前置きをして数ヶ月前に起こったことを村田に話して聞かせた。

 コンラッドの元彼女に会ったこと。
 その彼女がコンラッドに全てを教えたこと。
 そして、自分の気持ちを。

「なるほど、ねぇ・・・。まぁ、確かに、それだと脳筋族の君にとっては悩むこと間違い無しの問題だね。」
「悪かったなっ恋愛経験無しの脳筋族で!」
 こちとら真剣なんだっ!と叫べば、思いのほか真顔の友人に分かってると頷かれてしまった。
「君は、別に元彼が今の彼とどうなっているとか、そういう考えは持っていないんだろう?」
「持ってない。コンラッドが実は不器用だって事知ってるし、もし彼女と何かあったなら中途半端におれといることはないだろうから。」
「あーはいはい、ご馳走様」
 苦笑いしつつ肩を竦め、そうして目を眇める。
「だったら、何も心配することはないんじゃないの?問題なんてこれっぽっちもないじゃないか。」
「でも・・・おれ、コンラッドの気持ち分かってて、分かってるはずで分かってなかったんだ。」
「・・・どういう事?」
 俯き爪先を睨みつけるように沈黙したユーリを、村田が覗き込むようにして尋ね返す。
「やっぱり、何処かで疑ってたのかもしれない・・・。もしくは妬んでる、かな。おれとコンラッドじゃ過ごしてきた年数も経験もすっごく差があるのは分かってるんだけどさ。やっぱり、おれの知らないコンラッドを知ってるシュリフトさんを羨む自分が居るし、シュリフトさんはいろんな面でコンラッドを支えていたんだろう。そしてコンラッドも彼女の前じゃ自然体だし、取り繕っている風も無かった。それだけ信頼し合ってたって事なんじゃないのかなって。」
 馬鹿げてるとは思う。
 それでも、自分は何処かで思っているのだろう。
 コンラッドにとって自分が一番でありたいと。
「あのねぇ、渋谷?誰だって好きな人に昔の影がチラつけば不安になるさ。それに、その影と仲が良ければ嫉妬もする。自分を見て欲しいと思う気持ちも当たり前だ。」
 やれやれと首を振った村田は、穏やかな笑みを浮かべて再びユーリを見つめる。
「君は、ウェラー卿を好きなんだろう?誰にも負けないぐらい、真剣に。だったら、それを素直に伝えればいい。ずっとね。」
「お、おれがそういうの弱いの、知ってるだろ・・・ッ?」
「それでもだよ。ちゃんと気持ちを伝え合っていれば不安になる必要も無い。寧ろ君は、ウェラー卿にばかり言わせて自分は言うことが少ないんじゃないのかい?だから余計な不安が募る。自分は気持ちを言葉にしてない自覚がある分さ。・・・まずはそこから、行動してみればいい。今から行ってきたら?」
 言って村田は公園の中心に位置する噴水を示す。
 今日は少しばかり肌寒く、残暑のわりに気温が低かった。
 そのせいか水辺で遊ぶ子供や、散歩する大人の姿は少なく、今が絶好の機会だったりする。
 だが、一向に動こうとしないユーリに訝しがり村田が言葉を掛けようと口を開きかけたとき。
「・・・行けないんだ。」
「え・・・?」
「行けないんだよ。いろんなところで何度も試したんだけど・・・。家の風呂や洗面所、果ては森の奥のいつもの湖やトイレの便器まで。けど・・・未だに行けた例がない。」
 発光することはおろか、渦が巻くことなど持っての外。
 どんなに願っても、魔力を使うときのように意識してみても、異界への扉が開くことは無かった。
「・・・君自身の気持ちが、まだ揺れているからじゃないかなぁ。」
「やっぱり・・・?」
「ま、少し落ち着いてきたんだし行く気になったらチャレンジしてみなよ。」
 後は君自身の問題だしね。
 頑張ってという思いを込めて、村田はユーリの肩をポンと叩いた。






 とは言われたものの。
 村田と別れ、一人帰路につくユーリは歩きながら考えていた。
 気持ちが固まりつつあるのは確かだが、しかし戻ってきた時の光景を思い出すと、帰るに帰りにくかったりする。
「・・・コンラッド置いて、逃げるように戻ってきちゃったんだもんなぁ・・・」
 情事の後の、あの状況で。
 朝、眼を覚ましたコンラッドはどんな気持ちだっただろう。
 自分がされれば間違いなく凹む。
 凹むだけなら兎も角、間違いなくコンラッドを責めるだろう。
 どうして置いて行ったのかと。
「・・・おれって、何処まで自分勝手なんだろう。」
 自分の思考に自ら凹み、はぁ・・・と深い溜息を吐き出した。
 ふと、曇りつつある空から大粒の涙がポツリポツリと零れ落ちてきた。
「やべ、雨降ってきやがった・・・っ」
 慌てて駆け出し、近くの公園へ駆け込む。
 そこにはちょっとした雨宿りの出来る東屋があるので、そこへ入ろうと足を向けた。
 ちょうど、その時。
「――え?」
 いきなり引き込まれる感覚に陥り、そのまま目の前が水に包まれる。
 どうしていきなり、と思う間もなく、ユーリの体は濁流に飲み込まれるように異界への扉を潜って行った。






 東屋の前には、雨で出来た僅かな水溜りだけが楽しそうに、雨音にその身を預けていた。