- Passieren 2 -

 名を呼ぶ声は甘く切なく、驚きに満ちたもの。
 半ば呆然とした状態で屋台の前に佇んだコンラッドは、視界に映る女性の名を再び紡いだ。
「シュリフト・・・、シュリ?」
「え?」
 振り返った彼女もまた、コンラッドを認めて空色の瞳を零れ落ちんばかりに見開いた。
「コンラート・・・?驚いた・・・あなたとこんなところで再会するなんて。」
 穏やかな微笑みを湛え、シュリフトは離れた距離を縮める。
「一人?良かったらお茶でもどう?」
「いや、今はちょっと・・・」
「カクさん、どうした・・・あ、れ?知り合い?」
「ユ・・・坊ちゃん」
 中々入ってこないコンラッドに焦れたユーリが、屋台の中から顔を出す。
 そこでコンラッドの隣に見知らぬ女性を認め、僅かに身を強張らせた。
 しかしそれさえも感じさせない仕草で屋台から女性の傍へ歩を進めると、にっこりと笑みを浮かべ。
「知り合いなら、一緒にご飯にしたら?席空いてるって。」
「いえ、それは・・・」
「あら、いいの?じゃぁお言葉に甘えて。えーと、私はシュテレ・シュリフトと言います。よろしくね」
「あ、おれはミツエモンって言います。こちらこそよろしくお願いしマス。」
 互いにぺこりと頭を下げる様は、傍から見れば微笑ましい光景で。
 しかし、その二人を見つめるコンラッドの心境は複雑なものだった。






「ねぇ、ミツエモンさん」
「あ、ミツエモンでいいよ、シュリフトさん。」
 あぐ、と先割れスプーンの先に絡めた麺を咀嚼しつつ、ユーリは困ったように眉根を寄せた。
 照れているのか困惑しているのか、どちらともつかない表情のユーリは上目遣いにシュリフトを見つめ「何?」と問いかける。
「あなたとコンラートってどんな関係なのかしら?あ、言い難かったらいいんだけどっ」
「おれと彼の関係?・・・えーと・・・」
 隣に座るコンラッドに視線を向け、それから天井へ。

 さて、どうしよう。

 コンラッドの知り合いと言うことは解っているが、だからと言って自分の立場を打ち明けるまでの信頼は今のところ持ててはいない。
 しかし下手なことを言えばコンラッドの立場を知っている以上、自分がどんな人物かがばれてしまう。
(いっそ恋人ですとでも言うか・・・?)
 冗談半分で考えてみるが、到底自分からは言えそうもない。
 あまりにも恥ずかしすぎる。



「大切な人だよ、俺の。」
「え・・・?」
「コ、コンラッド?!」
 突然の告白にシュリフトもユーリも目を見開いた。
 しかし良く見れば反応はそれぞれがバラバラ。
 ユーリは顔を赤く染め上げ慌てふためているのに対し。
「そう、そういう関係なの。・・・よかったわね、コンラート」
「ああ」
 シュリフトは極自然に、穏やかな笑みを浮かべた。
 その横顔は淋しそうでいて嬉しげな。
 複雑な表情に困惑したのはまたしてもユーリで、目の前の二人を交互に見つめるとそろりと口を開く。
「えーと、・・・あの、二人の関係は?」
「私は昔、今のあなたの立場に居た者よ。つまり元恋人」
「え・・・」
 呆然とするユーリを余所に、シュリフトは続ける。
「もう40年くらい前かしら?あの頃のコンラートったら他人と距離は取ってるし、かと思えば夜はお盛んだったわよねぇ?」
「シュリ」
 茶目っ気たっぷりにコンラッドを見ながら微笑むシュリフト。
 意味有りげに目を細める仕草は艶の帯びた女性のそれで。
「・・・・」
 ユーリは知らず、左手首をぐっと握り締めた。
 痛みなんて感じる余裕はなくて。
 ただ、この疼くような胸の痛みの方が辛かった。
「――坊ちゃん?大丈夫・・・?」
「っ・・・ぁ、」
 隣から伸びてきた掌がそうっと頬を撫でる。
 視線を上げれば、心配そうに眉を寄せるコンラッドが。

 心配を、かけてはいけない。

 瞬時にそう思い、ユーリは上手く作れているか心配ではあるが笑みを浮かべた。
「大丈夫。全然へーきだよ、コンラッド」
 頬に当てられた手に手を重ね、ふわりと微笑む。
「そう?・・・無理はしないで。食べ終わったら左の通りに行ってみましょう。確かあなたの欲しがっていたガラス細工店があったはずですから。」
「ん」
 こくりと小さく頷けば、コンラッドがほっとしたように目を細めた。
「あら、私はお邪魔ね。あとは若い者同士で楽しまなきゃ、せっかくの休日だし。」
「そう言えば、どうして君はここに?結婚して今はクライスト地方へ行ったと聞いたけど。」
「ええ、今は里帰り中。今日は母上の誕生日で、その買い物に来ていたのよ。」
 ちょいと椅子の下に置いていた袋を指差し、にっこりと微笑んで。
 それに「あぁ」と納得したコンラッドも口の端を持ち上げた。
「おめでとうと、伝えてくれるかな。」
「いい年こいた女性にその言葉は禁句よ、コンラート。もう、昔からそういうところあ変わりがないんだからっ」
 少しは女性の気持ちを考えなさい!とシュリフトがコンラッドを叱る。
 それに対し、コンラッドは困ったように頬を掻いた。
「すまない」
「ミツエモン君っ何かあったら私に言うのよ!私がコンラートにガツンと言ってあげるからっ」
「え?あ・・・はぁ・・・」
「それと」
 す・・・、と表情を和らげたシュリフトは、ユーリの赤茶に染まった髪をそろりと撫で付けて。
「コンラートのこと、お願いね。この人自分の事となると全く顧みないから。支えてあげて?」
 お願いねと、もう一度囁くように言うとシュリフトの手が髪から離れた。
 それを見たコンラッドがすかさずユーリの肩を引き寄せて髪に口付ける。
「やぁね、嫉妬?」
「人のものに手を出すからだよ。」
「ちょっとだけじゃない」
「それでも、だ」
「―――ぷっ」
 ユーリは思わず口を押さえて笑い出した。
 いつもは余裕を見せるコンラッドが、まるで子供のようにあしらわれている様に可笑しくなった。
「ユーリ・・・」
「ご、ごめん・・・っくく、何か、コンラッドが可愛くてさぁ・・・っ」
「酷いな、可愛いのはあなたの方でしょう?」
「可愛い言うな、嬉しくない。」
「最初に言ったのはあなたです」
「しょうがないだろ、可愛いと思っちゃったんだから。いつもあんたが言ってるんだからおあいこだっ」
「ユーリはいつも可愛いよ?」
「だぁーっやめろっ言うな!」
「ふふっ」
「ほら見ろっ笑われた!」
「あなただって笑ったでしょう・・・」
 口元を押さえて清楚に笑っていたシュリフトは、次第に腹を抱えて大笑いしだした。
 目頭には涙まで浮かべている。
「シュリフトさぁん・・・そんなに笑わないでよー・・・」
「ご、ごめんなさい・・・っあまりにも二人の会話が面白くて!」
 漸く笑いが収まってきたシュリフトは、目頭に浮かんだ涙を指の先で掬い取りふぅと吐息をついた。
「あなたがこんなに楽しそうに人と接しているのを見て安心したわ。じゃ、私もう行くわね。」
「えっもう行っちゃうんですか?」
「ええ、楽しい時間をありがとう。また機会があったらお茶しましょ?・・・コンラート、元気でね。」
「ああ、ありがとう」
 彼女が席を立ったのに続き、ユーリとコンラッドも席を立ち一緒に店を出る。
 通りの分かれ道で立ち止まり、互いに向き合って手を握り合い。
「有意義な時間だったわ。・・・陛下、この国を・・・コンラートをどうかお願いします。」
「ほえっ?!」
「じゃ、さようなら」
 シュリフトは柔らかに笑みを浮かべ、そのまま人ごみに紛れて姿を消した。






 * * *






 その後、昼過ぎまで買い物を続け、夕刻近くに城へ戻った二人はその足でコンラッドの部屋へ向かう。
 夕飯は済ませてきたので、その旨を厨房へ告げに一人自室を出たコンラッドは、ついでにと軽いお茶菓子を貰い、ユーリの待つ部屋へと足早に戻った。
 何となく、彼が私室へ戻らず自分の部屋に来たがったのか、想像はついていた。
「紅茶をお持ちしました。飲みますか?」
「ん・・・」
 帰り道の馬上で、ユーリの口数は段々と少なくなっていた。
 物思いに耽るかのようにただ、目指す城の更に向こうに広がる空を見つめ続けて。 
 かと思うと、ぎゅっと拳を握り締め眉根に皺を寄せる。
 どうかしたのかと訊ねれば、当たり前の如く何でもないよと返された。
 ぎこちない笑みと共に。
「・・・何か、聞きたいことがあるんでしょう?俺に」
「・・・・・・」
 部屋に入ってすぐ、いつものようにベッドに座ったユーリは足元の床を見つめ続けたまま微動だにせずに居た。
 それはコンラッドが戻ってきてからも同じで、一つ吐息をつくとカップを持ったままユーリに近付く。
 隣に腰を下ろす時、ユーリの方が僅かに揺れたことを知っていたがそれにあえて気づかぬフリをしてコンラッドはその小さな手へとカップを握らせる。
 そっと肩を抱き寄せた。
「シュリフトのことが、気になりますか」
「・・・・・・ごめん」
「ユーリ?」
 責めた訳じゃないないよと、弁明しようとした口を封じたのはユーリの仕草。
 擦り寄るように黒い髪が頬を滑る。
 ユーリの声が再び鼓膜を震わせた。
「今更こんなこと、気にしても仕方ないって思うんだ。・・・だけど」
 逞しい腕が、肩を抱くその腕が優しく髪を撫でてくれる。
 ユーリは一呼吸置いて、更に言葉を綴る。
「おれ、子供だから・・・やっぱり、気になるんだ。もう今は関係ないって知ってるけど・・・。」
 肩に預けていた頭を上げ、その銀の星が散る薄茶の瞳を見つめて。









「教えて。・・・あんたの恋愛の初めては、全てあの人だった?」
「・・・えぇ、そうですよ」









 その声は酷く素っ気無く、けれどとても潔い。
 なのに、瞳はとても温かく、優しく、悲しそうに笑っていた。